自分を知る

熊本すぴこんに行ってきた。
かみさんがLORANというショップの方にヒーリングとカウンセリングをしてもらって、その間私は隣に座って店主の方のお話をいろいろ伺い、是非あなたも受けてみてはというのでちょっとやっていただいてみた。

その方たちはご夫婦でやっていらっしゃる。
独自の方法で人の波動か何かを自分のそれと共鳴させ相手を知るらしい。そしていろいろアドバイスをくださる。
その人の心の風景を文章に書き出し、色紙に綴ってくださったりする。私がいただいた言葉は

バスケットを開いて
あなたのハートを取り出そう
気球に乗せて
遥かな空へ飛び出そう
大いなる光へ

難解だった。これは一体私の何を示しているのかわからなかった。

私はハートを閉ざしているらしい。
何かを楽しんでいるように見えて実は本当に楽しんでいるわけではなく、自分でこれが楽しいと決めたから楽しいことにしている、というようなことだ。なるほど、言われてみればそうかもしれない。幼少期に両親に話を聞いてもらえなかったのが原因なのらしい。それは自覚はないが、たしかにうちはずっと共働きで放任主義のようなところがあった。それで寂しいと思ったことはないと思っていたのだが、早いうちから親には期待せずに自分でなんとかするような体勢ができてしまっていたらしい。
問題があるわけではない。ただ自分が知らずに抱えているものを知り、成長の役に立ててほしいということだ。

最近こうやってスピリチュアルな方面に興味が沸き、だんだんとその方向に傾きつつあること、
本当に楽しいことって何だって考えたときに、誰かを幸せにできたり役に立てたりすることだけが本当に楽しいことだと思うこと、自分はそれをやっていく、つまり人の役に立つための具体的な行動を起こすべきなのではないかとなんとなく思っていること、
それらを話すと、ご夫婦そろってうんうんと頷かれ大いに納得されたような様子だった。

そして大事なことを教えておくからと、また紙にお言葉をいただいた。

一. 自分が幸せにならなければ人に幸せはあげられない
二. 自分がらくにならなければ人をらくにしてあげられない
三. 自分の幸せと人の幸せは同じではない
四. ものやお金は自分を物質的に豊かにするが、精神的には豊かにならない
五. 自分の意識が変わらなければなにも変わらない

なるほどなるほど。
どれも頭ではわかりきったことなのだが、実生活のなかでつい見失いがちなことだ。
気をつけなくても身につくように状態になるようにもっていかなかれば。


今回このようなことがあったからといって、じゃあタロットを始めようとか、ヒーリングを習おうとか、そういった考えには今のところはならない。みんな目指すところは世界平和とか人々の心の安寧なのだから私は私のやりかたがあるはずで、それがちょうどよい。

ひとまず今は、こうやって自分が楽しく生きていることを人に知ってもらうのがいいかなと思う。
あれ?これってじゃあ、今までどおりじゃん。そう。これでいいのだ!

あ、でも成長しなきゃだから、意識は高めてということで。はい。