宗教的儀式の効能

この何年間か、毎月お墓参りをしている。

かみさんと四柱推命とやらで運命鑑定か何かをしてもらい、そのときにそうするように薦められたからだ。いまではそのようなきっかけは関係なく、ただ日常の習慣として毎月参っている。私の祖父ひとりだけが、16年前から眠っている。

花と線香と手ごろなお菓子とお茶を買って行き、草むしりをし、墓石を磨き、植えてある草花の手入れをする。かみさんは花をきれいに整えて、私は線香の束に火をつけて、お菓子とお茶とともに供える。そしてお参りを済ませたらお菓子を、以前は持って帰っていたのだが最近はその場で食べてしまう。そうすることでおじいちゃんと一緒に食べることになるのだそうだ。
帰りがけにはどこかのお店で食事をして帰ることが多い。それを楽しみにしているので続いている面も多いと思う。今月もきちんとお参りしたことのご褒美の意味もある。
月命日または前後にするとかの制約は設けていない。毎月の中の行けるときに行くだけだ。その気軽さも続いている要因だ。

もともとはお葬式とかお墓参りとかの儀式はなんとなく嫌っていた。おそらく、信仰心もないのに真似事だけするという行為をどこか白々しく思っていたのだ。
しかし、お墓参りの薦めを受けたときはかみさんがうつの療養中だったこともあり、心の回復に役立つならと素直に始めてみた。

最初からもう、いやいやとかしぶしぶではなかった。むしろ楽しかった。信仰心はなくてもこういった儀式が心の安寧をもたらすということをすぐに実感できた。おそらく、神棚や仏壇にお供えをしたり神社にお参りをしたりする人もそうなのだろう。必ずしも信仰心があるわけではなく、その行為が安らぎをくれるのである。

丑の刻参りなんかもあてはまるのかもしれない。呪いの儀式でもその行為で自分の気が済んで落ち着くのであれば効果として同じだ。結果を本当に望んでいるわけではなく、自分のマイナスのエネルギーを発散することが目的ということであれば、なんて健全な行為なのだろう!

私は33歳だが、同世代でお墓参りが日常になっている人は少ないと思う。せいぜいお盆とお彼岸くらいだろう。
でも安らぎを求めている人にとっては、お墓参りはきっとかなり有効です。草むしりとか水を運んだりとかでけっこう運動にもなるしね。