うっかりしてました。

ふだん、たいして怒ることも嫌うこともなく、
ほぼ感情は「ニュートラル+ちょっとポジティブ」あたりで保ててる気がします。

この「ニュートラル」な状態とは、感情でいえば落ち着いているとになると思いますが、
ニュートラルな知識」
ということをちょっと考えてみました。

私たちは知識を得たときに、それが真理だとか絶対だとか思い込み過ぎているんじゃないか。

自分にとって気持ちよくない情報は知ってるだけでいい。納得する必要はない。




人は必ず死ぬなんて、思い込みだ。
平均寿命なんてのは常に過去のデータ。
いま生きている私たちとは環境も文化も違う。
いつか死ぬものというネガティブイメージが寿命を作っている。

古代の遺跡やオーパーツなんかはほんとに過去のものか?
現代の科学ごときで得られた知識が、この先どこまで通用するというのか。
未来のものが今あるという可能性を無視する根拠などない。

「起こりえないことが起きた!」
なんて傲慢な言葉だ。
しょせん私たちには起こりえるすべてのことを想定しえない。



つまり、


「自分にとって好ましくない常識などとっぱらってよい」




ということに今さら気づきました。
いや~、うっかりでしたよこれは。
そのとっぱらったあとの客観的な事実のみを「ニュートラルな知識」と表現してみました。


入ってきた情報のいったいどれだけが真理だというのか。
自分で確かめてもいないことを鵜呑みにすることがどれだけ損なことか。

好ましくない情報など呪いにすぎない。
人に迷惑をかけないかぎり、「おいしいとこどり」は徹底すべきだ。

本気でそう思ったとき、死の恐怖から解放されました。

ありがとうございます。